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INTERVIEW ARCHIVE #01

第6章ベトナムの地で。

SENSE 2020年 掲載

海外旅行がイージーとなった現代。昨今の旅行ブームや食文化のトレンドも相まって、
アジア諸国に関心を持つ人が増えたように感じる。今シーズン「リベレイダース」が舞台に選んだ国は、ベトナム。
特にアジアという括りで考えてみれば、日本との親和性も高い国だが、歴史的な背景を知れば知るほど、
同じアジアでありながら、歩み方が大きく異ることにハッとさせられる。縦に長く伸びた大地は、
かつて南北に分断されていた時代があり、”アメリカと戦った”という悲しき戦争の地でもある。
今でこそ世界有数のリゾート地として知られるこの国に、mei氏が飛んだ理由—それは、幼少期に体験した
ベトナム戦争を改めて考察するため。ベトナムの地で見た真実が、リベレイダースの新たなる歴史を刻む。

photography by MEI YONG (neutron inc)
edit & text by SEIRA MAEHARA

あの日見た真実の光景へと迫りたい

70年代当時。連日ベトナム戦争が報道される中、ニュースに映る米兵の姿に憧れを抱いていたというmei氏。でも、現実は?
戦後に作られた映画や本などが伝える凄惨な状況は、言葉にできないものばかり。
当時を知る人もまだ生きている、行くなら今しかない。氏は現地へ足を運んだ。

子供の頃って大人とは戦争を捉える視点が違うじゃないですか

今では、すっかりアジアンリゾートの定番国となったベトナム。豊かで美しい自然に、西洋建築と仏教建築の入り交じった市街地、綺麗なビーチリゾートもあるので、トラベラーからも熱視線を集めている。日本でもベトナム料理の人気はうなぎ登り、さらにベトナムコーヒーの飲めるカフェもあったりと、食文化を通じてかなり馴染みのある国の一つとなった印象を受ける。
一方で、第二次大戦前はフランスに占領され、大戦後はアメリカとの悲惨な戦争を経験するなど、想像を遥かに超える激動の歴史を刻んできたのも、また事実。特に、ベトナム戦争は現在にまで根深い傷痕を残している。この史実から、mei氏は今シーズンのコレクションで何を伝えたいのか?その問いを起点に、今回のインタビューを敢行。
「小さい頃は、ベトナム戦争に凄く関心があったワケではないんです。誤解を生まないように噛み砕くと、正義、とか自由。に関心があったワケではなくて、米軍の戦車や軍服、ヘルメットに書いてあるメッセージなんかが幼心ながらにカッコ良く見えたとかのレベルということ。子供の頃って大人とは戦争を捉える視点が違うじゃないですか、ビジュアル的なこととか、ミリタリー的なことが興味の対象だったので。
今考えるとストリート業界で定番になっているアイテム、例えばカーゴパンツとかも全部ベトナム戦争の頃に生まれた物ですよね?
第二次世界大戦でも朝鮮戦争でもなくて、ファッション的なミリタリーのルーツはベトナム戦争。
米兵が缶詰を食べながら、ロックを聴いて、ドラッグをやって、最高の装備を持って。そんな中で戦争をしてるのが純粋にカッコ良く見えた……今にしてみれば、そうは思えないんですけどね(笑)。当時って、アメリカに勝って欲しかったって気持ちもどこかにありましたし。(ベトコンゲリラは)サンダルを履いてる上に、ユニフォームもない。『そんな貧相な連中になんでやられてるの?』みたいな気持ちが子供ながらにあったのかもしれません(苦笑)。
あと、当時のロックにも相当影響を受けましたね。戦地の兵隊もドラッグまみれでしたが、ミュージシャンもドラッグの力を借りていた時代!精神世界って言うのかな、一般の人には見えていない世界が見えていたハズなんです。70年代のミュージシャンって、それはそれは素晴らしい音楽を作っていましたから。クリーンな人からすると到底作ることのできない、素晴らしい音楽。それをベトナムのホーチミン・シティとか、キャンプ用に作ったラジオ局で放送していたんです。ドラッグでキマった状態でカフェインだらけのコーラを飲み、ヘリでジャングルに向かう兵士達。そんな極限状態で聞いていたのが、ロックンロール。アメリカ人は完全にどうかしてるって思いますよね」。

街にはアメリカンカルチャーが溢れていました。

今回のコレクションで、レディオリベレイダース、というシンボリックなアイコンが登場しており、そのルーツが感じ取れるエピソードを伺うことができた。「僕が、『ベトナムに行きたい!』という気持ちになった理由は、やっぱベトナム戦争にあります。
若い頃中国で受けた教育の記憶がベースにあり、日本に来てからも同じことを調べたら、出てくるものはまあ真逆で。ある意味、両側面を知ることができたし、自分なりにいい勉強となりました。20歳頃かな、そういう資料を沢山見ていて、どんどん深みにハマったといういきさつもあり、今回のベトナム行きを決行。
現地入りしたのは昨年の10月、最初に向かったのはメコン川です。秋口でも平気で34~35度はあるような、もの凄い暑さと湿気に襲われて。これはやってられないな……と弱音を吐きそうになったほど。メコン川って、島と島の間はボートで移動するのですが、空気が溜まっていて汗が吹き出てくるんです。こんな気候の中で銃を装備して、ヘルメットも被って、長袖を着てるのを想像したら、それだけでもう地獄ですよ。行ったのは10月ですからね、(ベトナムで)一番暑いのは4月、5月なんですよ?じゃあその時どうしてたんだよ、みたいな感覚にもなりました。
例え敵が銃を打ってこなくても、ジャングルに隠れていなかったとしても、自分なら気が狂いそうになる。語弊があるかもしれませんが、狂ってないと戦場では生きられなかったんだなぁと。
ベトナム戦争後に精神的な病気、戦争後遺症とかが注目されましたよね。
昔からあったとは思いますが、はっきりした病名が出てきて問題視されたのは戦後からかなと。でも、この頃のアメリカ人って現地へ戦争に行って年で帰れるから、もう一回志願してまた現地に戻る人が沢山いたとか。戦場でしか生きている実感がなかったんでしょうね。緊迫した環境にずっといたせいか、平和な静けさに耐えられなくなる、脈から何からおかしくなる。
志願してまで戦火の地に戻ってきたのはそれが理由。『地獄の黙示録』もそういう話でしたよね。

だから、ベトナムの人達ってイカツイ民族だとばかり思っていたんです。こんなアメリカ人とずっと戦った国なんですから。ところが意外にも純粋で温和。アメリカと戦争をして、フランスとも戦争をして……という事実が信じられないほど。撮影をさせてもらった方に当時の話も聞いたのですが、誰も戦争ができるような性格の人はいなかった。少なくとも自分が会った中には、一人も。400万人もの犠牲を出しつつ、最終的にはアメリカに勝った。これは本当に凄いこと。こんなにも温和な人達が命懸けで戦ったワケですから。
ホーチミン・シティにも行ったのですが、街にはアメリカンカルチャーが溢れていました。あれだけの規模の戦争をしたにも関わらずですよ、アメリカが嫌いじゃないってことは不思議でしかない。
やっぱり、カッコ良く見えてたんじゃないかな?と思ってしまうほどです。殺し合いをして、国から追い出してまでして。でもカルチャーが好き。今ではアメリカの産業も、ベトナムには多数入っていますからね。「きっと憎しみも残っているハズなんです。あの時代を生きた、3代以上の足や腕がないような人達が街中にはまだまだいっぱいいましたから。

戦争が終わったのは、ほんの4年前。僕らの世代、少年兵で称え合っている世代もそう。本当に戦争が近い存在で、つい最近の出来事だったのを改めて感じさせられました。

この両面を踏まえ、ひと昔前のアメリカで流行ったキャタピラ(CAT)じゃないですが、ヴィンテージのアメリカブランドのシャツを着てる人が割と多いと聞いていたので60年代・70年代のアメリカのダイナーやモーテルにあったビルボードに、リベレイダースとデザインした服を、敢えてベトナムに持って行ったんです。このギャップ感が自分の中では結構面白くて。アメリカ、ベトナム、二つの国で同時期に何があったかを連想させるようなデザインのアイテムを今シーズンは数多く作ったつもりです。自分なりにですが、上手く仕上がったコレクションになっているのでは、と思っています!

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